昭和39年12月15日 夜の御理解



 日々神様の間違いなさが、わからせて頂くようになると、だんだん神様を信ずる力が頂けて、言わば神様を信じきっての、安心の生活が出来るようになる。一分一厘の間違いのない神様の働きが、分かってくるようようにならなければならん。神様の働きの間違いなさに恐れ入ってしまうなあと、どういう中を通っておっても、その間違いなさが分からせて頂くような、信心にならせて頂かんと。
 神様を信じきった生活とか、いわゆる安心の生活が望めない。椛目の方たちだんだんそこへんがだんだん分かって行きよる、わかっておるのだけれどさあ、事一つの問題にぶつかると、いわゆる、応用問題になると分かっておることが分かっていない。椛目でだいたい一分一厘間の違いのない神様を見せてもろうて。聞かせてもろうて自分もやはりそれを頂いておるから。
 分かっておるようであるけれど、さあ事問題がちょっと変ってくると、その問題には、いわゆる応用問題は解けないと言うような事になる。私は、ここまでが一つしっかり信心をせにやいかんですね。先ずひとつ神様の一分一厘の間違いのない働き見せて下さる為にね、信心辛抱言わば修行をなさなきゃいけんと思う。今日例によって上熊本の山田さんが、自転車でお参りになった。
 もう本当に椛目明日お参りすると思うたら、思うただけで心が弾んでくる。往復12時間の自転車に乗りっぱなしですから。私は今日出られたからすぐ後を追っかけて、あの出てみたんですよ、もう・・?にき走っておる。もうてんで腰を上げたごっして一生懸命踏んでいかれよるですね。それでやっぱり五時間半六時間かかるそうです。片道がもう椛目にお参りさせて頂くということが有り難い。
 今日もその神様の間違いなさ働きを頂いておることをです、最近この方は言わばお導きの名人、上熊本教会が大変まあ上熊本では非常に御ヒレイの立つ教会だそうです。信者もまあなかなかいい信者が居られますです。その大部分が山田さんのいわば息のかかった信者、いわゆる山田さんの導きによって信心を頂いておる人たちが多いといわれる。ある部落なんか部落全部がその山田さんのおかげで導かれたたと言う人がいる。
 ところが先生最近不思議な現象がある。導いた人が一つも助からん。親先生の時には助かよったんですけれども、ですから導いてから返って金光様に参ったばってんおかげを頂ききらんやったと宣伝をされるような結果に現在なっておる。もう最近椛目におかげを頂かんようになりましてから、朝の御祈念が一人か二人しかお参りがなかと。そしてもう全然あれだけ元気の良い信者さん方が揃うて居られるにもかかわらずです。
 御広前にヒレイがないと言う、勢いがない。朝の御祈念が6時半かなんかだそうですが私はもう親先生の時代から三時半に起きると言うですね。そして四時の金光様のお出ましを拝むと言う。それでそのまま教会に参っておったが、そんなに早く参ってもらっては困ると言う風な事を先生が言われたそうですから。まあそれに合わしてから朝の御祈念に参るのですけれども、とにかくいくらお導きをしたところですね。
 助からなければ返って悪宣伝に成る様な事、あの人がそうにいうちから進めらしゃったけん参ったけれど、おかげ頂ききらん、おかげ頂ききらんじゃなくて、おかげ頂かせきらっしやれんじやった言う事になる。金光様じゃつまらんと言う事になる。返って悪宣伝されると言う。困った事ですねというて話した事です。自分自身の心の中に自分の身辺にはもう間違いのないお商売の上にも何かにの上んでも間違いのない。
 私はこの事はもう長年枕元に枕時計を置いておりますけれども、時計は狂いがある、神様には狂いはない。ですからジンが鳴るのをいつも止めておるあれは使いません。ふっとこう目を覚ますとやっぱり三時半に目覚しのおかげを頂いておるとこういう。最近一つこれは椛目にお参りし出してからの体験でございますけれども、ここで空気の御恩徳を頂いておる。私はその事を解いたことを自分では思いませんが、そういうておられる。
 以来わたしはですね、自転車に空気を入れます時に、神様がちゅうぶの中に入って下さよるとこう思うち、ですからもう本当に。神様有難うございます。人間お生かしのおかげを頂いておると言うことが有り難いように、自転車もこの空気によってお生かしのおかげを頂いておるんだという実感でおかげを頂いとりますがね。おかげを頂きましてから、タイヤをですね帰るまで一遍もまだパンクしたことがないち。
 そういう体験を頂いて居ります。もう恐ろしかごたるというて話されるです、もう今までは先生もう夏ともなると日に2辺も三遍もパンクする様な事が御座いました。一日その魚を行商して回られるわけですからね。所がですね、もうこの一夏過ごさせていただいたんですけれども、私は空気の有り難さが分からせて頂くようになったら一遍のパンクもまあだ頂いた事はございません。
 もう愈々自転車が変えにゃいかんですばいと言うまで、そのパンク致しません、有り難いですねこれはもう、そこを体験した者でなければ分かりません。だからだれでもそげな話はしどんしなさんなと私は申しました。だれでんにいうたつちゃ、ほうち聞けばそれまで、もうあんたのその話は私ならそれを信じて聞けれるけれですけれどもですね、誰彼つかまえてそれを話しても、ほんに馬鹿んごとしかいわんよと私は。
 素晴らしいこと素晴らしい体験を頂いていきょんなさるね、というてから話したことでした。今の時計の件だってそう、自転車の空気のことだってそう、ね、そういう中にそれはなるほど大変やはり難儀なところを通っておられます。けれどもそうして神様の身近な働きをですね。間違いない働きを感じておられるから、往復十二時間もの道を椛目にしげしげとああしてお参りされる、その事が楽しい。
 もう仕事と仕事のあいまあいまにですね、休みの時間というものをです、もうためにためて椛目に参ってくることが楽しいとこう言う。今日はあちらおしめりでございましたから、今日だんああたもう汽車で参いんなったらどうですかち家内が、お前が参ったことがないけわからんちいうて参りました、これで参らなければ有り難いというものが頂けない。椛目にお参りするのは有り難いものを頂きに行くのだから。
 お前がそげんいうてくれるとはありがたいばってん、あたしは自転車でまいらなければ有り難うなかちいうてそのまいってきましたというておられるですね。そういう間違い無さを感じておられる山田さんがです、事一つ問題が問題になってくると分かっておられんから、おかしいごとあるけれども、お互いそんなことないでしょうかね、家庭の中に自分の経営しておる店の中に。
 自分の体の上に、もう何かにの上に椛目で信心のけいこなさっておられるほどしの人ならば、もう五年も信心しておられる人ならばです、神様の一分一厘間違いのないと言うことはいつも目の前に見せて下さるでしょう。聞かせて下さるでしょう、皆さんもそういう体験をいただいて居られるでしょう。頂けておらんなら、頂けるところまで信心修業しなきゃいけません。
例えばお商売をさせて頂いておるなら、がつがつながらもです、ね、もう本当にこれをいくらいくら払わせて頂こうと思いよったら、金庫の中を開けてみたらいくらいくらきつちりはいっとったというようなお繰り合わせを時々いただいておったんじゃつまらん。貸すんでも借りんでも同じ事、商売の売り上げの上にでも同じ事、ね、いわゆるタイミングということを申しますが。
 そういう意味合いにおいて本当に神様の間違いなさを体得させて頂くから、今日もある方がお祭りにお餅を作らして頂いた。もう本当に神ながらにつかせて頂いたお餅が餡子とそれがキッチリ餡子が一つもあまらん様にお繰り合わせ頂いたとそういうような、お願いをさせて頂くということによってです、そういうおかげを頂いていくから、神様の一分一厘の間違いのない働きを皆さんは感じていきょんなさるでしょもん。
 どうでしょうか、ああたがたは、そればいただきょんなさらんなら椛目での信心の頂き不足、修行不足、不安があるなら心配があるなら、ああたの修行不足、ね、本気で修行しなければいけません。そうして頂いた一分一厘間違いのない働きを身に感じて、神様の間違いなさに有り難いということを感じて行きよりながらもです、さこと問題がちょっと変ると応用問題になると分かっていないと言うこと。
 ここのところもわかっていくように段々ならなきゃならんのです。まあそんなお届けをなさってからです、あとにそのひとつ先生困ったことがございますとこういわれる。どういう事でしょうか、上の子も下の子もおかげ頂いて学校がよう来ます、中の息子が、学校行くのが嫌いな訳じゃないですけれども、大概勉強しょるごたるけれども一向できません。いよいよ今年は中学卒業しますから。
 どうでも高校にでも無理してでも一っお願いしてからやらして頂こうと親として思うのでございますけれども。本人が申します、もうお父さん僕は中学きりでやめてからはようお父さん達に加勢するとこういう、もうほんにガッカリします、勉強させようと思よりますばってん。どうですかお話聞ききょんなさってから、ちょっとおかしいでしょう、これこそ長年の間三時半におぞまして頂き枕時計いっちょ使わんなり。
 キチット神様が目覚しのおかげを下さるという。空気の有り難さが分からせていただくようになったら、炎天に行商して回られる、自転車がまだ一回もパンクしたことがないという恐ろしいごたる体験を頂いていきょんなさる、山田さんがです、さあ事子供のことになったら難儀をしておる困っておられるということです。それで私は申しました。山田さん、あの人間が勉強させたっちゃだめですよ。
 人間が育てたっちゃだめですよ。神様にお育て頂かなければ出けんとです、さあ、その一言を聞いたら分かられるですね。いわゆる応用問題に、ヒントほっと与えられる、はあ先生もうほんに椛目にまでこなければそれが分かりませんもんじゃからというてからというておられるです。本人は中々気が利いて元気もある、だからこれに勉強させるなら、まあだよかろうというのが親の思いだった訳です。
 学校にやったからというて必ず幸せになる、親孝行な子になるとは限っつておらん、高校出たけん成功するということも限っちゃおらん、小学校ぎりでも、中学校ぎりでも本人がそういよることが有り難いではないか、僕はもう中学校きりで辞めて、ならうちも不如意の中から高校に、まあいうならやりにくいような状態の中にあるのですから、それを思うてじゃないでしょうけれども。
 いくら勉強しても出来んもんですから、僕はもう中学校きりで辞めてお父さん達にはよう加勢するようにならせてもらおうと、こういうのならこんな有り難い事はないですばい。はもうそれが先生今ここで頂いてからそれがわかりましたち。先生そうで御座いました。ああもう本当に高校にやろうとか、やるまいとか、これは人間私の思いだったというてから喜ばれております。皆さんもそう言う様な事はないでしょうか。
 椛目で一分一厘間違いのない神様をです、見たり聞いたり、また自分もたまには頂いておられるでしょうが。それが私はズーットとにかくその神様の一分一厘の間違いなさを頂くということはですね、儲けだすという事でもなければ、健康になると言うことでもないですよ、不健康の中にでも難儀の中にでもどういう事の中にでも神様の間違いのない働きを身に感ずると言う事はそんなこっじゃないです。
 けれどもこれを育てて行きさえすれば健康になれるな、いわば金に不自由しないようになるな、人間関係の上にだって、ここを育てて行きさえすれば、人間関係の上にでもおかげが頂けるなあと言う事なんですよ。こんなにも間違いのない神様だもの、だから、神様を中心にしていけば間違いないと言う事になるでしょう。その事を皆さんが言わば、おぼろげにでも分かってお出でられておられるでしょう。
 事違った問題になると、もうそれに行き詰まっておる。もうそれで心が暗くなっておる、それでは、折角稽古をさせて頂いておるのが応用が効かんことじゃつまらん。どんな事にも応用のでける白由自在、白由無碍のおかげを頂くためにです、そのへんを白由自在に頂きこなせるところまで信心の稽古をさせてもらわねばいかん。不安があるなら心配ががあるならです、それは今修行不足と悟らしてもろうてです。
 その不安が吹っ飛んでしまう頃まで修行さしてもらいなさい。不思議です、私はそういう今日はお取次ぎ、いくらもさせて頂いた。どうにも出来ん。行き詰まっておる。ひとつも私聞いても行き詰まっておらんとじゃ。不思議なこっちゃ。修行させていただいておりゃ、これはて一遍に解ける。、向こうの方は開けっ放しと言われるような、言わば無尽蔵のおかげ頂ける道におりながらもです。
 自分の心がいつも、引っかかっておったり、行詰っておったり心がしておったんでは、その限りないおかげを頂けるはずがない。自分の考え自分の計画でもです、計画通りにならんからというて、神経病むようなこと入りません。その方は商売人の方でしたから私が申しました。あんまり算盤やら帳面やらにばっかり、一生懸命ならんで神様の方に一生懸命なんなさいち。
 そして一月ばっかりもう本当に売り上げなら売り上げのあったお金だけもうちゃんと貯め、金庫の中に放り込んでから、もう数えもせんぐらいないっちょ度胸を作りなさい。
 算盤ばいくらはじたっちゃ、はじき出しちゃ出来ん。いくら帳面を正確にしたところでです、足らんもんは足らん、余るものは余る。私はそれを疎かにしろというわけじゃないけれどもそういう精神で一っ御かげ頂きなさいと私は申しました。
 そこには夢にも思わないようなお繰り合わせが頂けておることに気付くだろう。信心させていただくものの、これは言うならば、まあ特権というとおかしいですけれど、信心させて頂くものだけが味合えるところのおかげの味合いなんですから。神様におすがりせんどいてから、神様にはお願いせんどいてから。
 修行を疎かにしておいてから、そして心配しとる不安がある、馬鹿んごたるはなし、心配があるならあるだけ、その心配の飛んでしまうところまで修行しなさい。それでも心配があるなら、それはまあだ修行がたらんと思うてから、まあだ修行の道は限りがないとですから、修行しなさい。今日福岡の安東さんが参ってまいりましてから、先日から取り引きしておるその取引先のお留守先のご主人が。
 その阿倍野の教会の信者さんだった、まあ実力日本一と、言われるような大きな教会です、朝参りが千になるそうです。それはまあそこのアイデア、そこの一つの特色でしょう、けれどもそこの、先生がそう言われるそうです、昼頃どん参って商売人が、今ごろ参ってきてからちいうておごんなさるそうです。どうして朝参りしてこんか、もうどういうお願いでもですね、
 その事なら一週間、そのことなら三日間、もうそのかわり家族中の者がですね、三日間ちいよるとは三日間一生懸命参るそうです。あそこの信者は、だから多いんだそうです。その問題一ヶ月なら一ヶ月日を切られたらもう一ヶ月家族中のものが一生懸命参るそうです。朝なら朝もう店員も一緒に一生懸命参るそうです。そしてもうそれこそもう間違いなく三日なら三日、十五日なら十五日でおかげ頂くそうです。
 先月は私共にどうしても四十万の手形が下りないで困っとった、その方の話なんです。もうどうにもこうにも出来ない事だった、丁度親先生が一週間と仰った。それからもう家族中店員ももう朝ですから、もう皆朝参りをする。一週間一生懸命お参りさせて頂いた、一週間目がその期日だった。あるところに集金に行った所がです、もう今月はどうこん払われんというてから、もう集金にきたつは皆んな断りござる、ね、
 そして○○さんあんただけちょっと待ってくれと言わっしゃるけ待った所がですね、丁度ここに四十万あるからあんたげに是だけ持って帰っとっててくれ、今月はもうよそは支払いせんちいうてからその人だけに、もうちょいと驚いてしまうというてその、安東さんの所でそう話された。あんただんどんなにして信心しよんなさるか、というてその、信心が間違ごうておらせんかというて。
 そのまあ言われたと言う事を、今日話ておられました。そう言う様な在り方でもです、ね、たしかにおかげは頂けます、ね、今日でも話を聞いてみると信心はそげな風ですから、いっちょんわかっていきょんなさらんごたるふうですね、椛目も段々粗げな風になる時代があるだろうと思いますね。お取次を頂きおかげを頂くという時代がね、だから今こそ信心、今私が申しますように一分一厘間の違いのない。
 神様を日々の上に苦しい中にも頂かせて頂いて、ね、しかもそれがあらゆる事に応用の出来るようなお繰り合わせを、信心を頂いておかなければいけんのです。そして例えば不安があるなら心配があるならです、おかげにならんことがあるならばです、本当に一家中が店を挙げてでもです、一っこの事をいっちょおすがりしよう出はないかというて、本当に自分で私は日切りと言うことはしたことないから。
 例えば手形がまあ十日間というなら、10間です家族中で本気で参って見るような、私は修行が必要だと思いますよね。そういう信心修行をさせて頂きながら、今日私が言う只間違いのない神様を頂いておるだけでいかん、さあことがちょっと変って来るともう不安になり心配になるこの事だけがどうもおかげ頂っきりませんと言う様な事ではいけんから、日頃頂いておる信心に物言わせて、そこに応用効かせていかにゃならん。
 そしてその事おかげ頂きたいならばです、ただ今その阿倍野のそれじゃないですけれども、何時何時までにこれだけの、おかげを頂かんならんと思うたら、一家を挙げて言わば店を挙げてね、さあ、あんたどんもいっちょ頑張ってくれんの、というごたるふうでですたい、その信心が出けんでおいてから、あれこれ心配しておる、あれこれたらんたらんばっかりいうておる。
 お繰り合わせを頂けないで、それではおかげいわゆる生きた神様を現していくことができんでしょう。みなさんもそんなことはわかっとんなさるでしょうわかっとることだけは、もう本当に間違いのないのには恐れ入ってしまいますというお届けいつもしょんなさるでしょうが。そういう間違いのない神様を頂いておってこの事だけに間違いがあるはずがないじゃないですか。応用しきらんでおる、修行不足。
 私はその安東さんの話を聞かせて頂いてです、本当に良いところは取り入れさせてもらわんならん。おかげも頂かんならん、信心も分からんならん、椛目の場合信心も分からんならんと同時におかげも頂かんならんならばです、おかげを頂くためにはその位の迫力がなしにはおかげは頂けんのじゃないかと私は思うですね。今日私は山田さんがお参りして見えたことからです。
 まあそれほどに、神様の一分一厘の間違いのない働きをいただきながら、さあ事自分の子供のことになると、それで難儀を感じておられると言うこと。それだけ頂き込んでおられるから、ここでほっとその只人間が育てちゃつまらん、神様のおかげを頂かなければできんとだから、というたらもうそれで、もうほんに先生そうでしたとこういう。息子がいよいよ本気で親孝行しようといよるとば、しようといよるのだから。
 そうしたほうがお金もいらんで済むじゃないか、その方がどのくらい成功の本、その息子のためににもならんともかぎらんじゃない、そのほうがおかげ頂くのだ。山田さんの例話からです、皆さんもそういうような事はないだろうか。分かりすぎるくらい分かっておりながら、こと問題がちょっと変るとその事にもう心が真っ暗であったり、行詰まったりしておるようなことはないだろうか。そう思うてみなければ行けませんね。
   おかげ頂きますように。